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ほぼマジメな事しか書いてありません。
今回の災害を受けての記録みたいなものです。
疲れました。






テレビを通して災害をみると、人は大抵少し距離を置いて、それを情報として処理するものだと思う。
文章にすると冷たく感じるものだけど、それはまあ当然といえば当然のことで。
可哀想だね、心配だねという言葉も経験していないのだから結局は他人事であり、
自分は一線を引いた安全な場所から「それ」を見ている事に変わりはない。

いうなれば自分も上記の人間だった訳で、日々流れる災害のニュースを
薄い板を通して情報を得ながら、大丈夫だろうかと漠然とした心配をするばかりだった。

仕方がないじゃあないか。経験していないのだから。
銃で撃たれた痛みを想像しろと言われて、
撃たれた経験のない人間はただ強烈な痛みしか想像できない。
もちろん、こと災害に関しては被害を受けたのが親族だったり、
心やさしい人々は親身に心配し、被災者の為になにかできないかと考え、行動するものだ。
確かにそういう人々が存在する。

さて、2011年3月11日。
午後1時だったか、2時だったか。
ぼくは自室でPCに向かい、音楽を聴きながら淡々と仕事をしていた。
少し疲れて休憩でもしようかと思いつつ、区切りの良い所まで進めようと指を動かしていると、
傍らにある銀色のラックと何かがぶつかり、カチカチと小さな音を立て始めた。

「地震だ」

そう思いながらキーボードを打つのだが、揺れが激しい。
こんなにも大きい地震は初めてで、次第に強さを増す揺れに少し慌てながらPCやDTM機材を支えた。
しかしその揺れは止まるところを知らず、振動に負けて徐々に機材が動き出す。
今にも落ちそうな機材のケーブルを乱暴に引き抜くと、
それをベッドに投げて、ぼくはどこかに逃げようと考えた。

しかし、よくよく考えてみれば、我が家に安全といえる場所なんてないじゃあないか。
我が身の危険に恐怖したが、それ以上に、ぼくは一緒に暮らしている猫の事が心配で仕方がなかった。
部屋中の荷物が倒れていくのだから、他の部屋も、食器類なんか大変な事になっているんじゃあないか。
そう思うと居ても立ってもいられず、ぼくは大きな揺れの中、猫を探しに部屋を出た。

家全体が鈍い音を大きく響かせ、案の定傍らで食器類が落ちてくる。
いっそ小気味の良い音を立て崩れる食器を避けながら、
猫の名前を呼んで家中を彷徨うが、猫の姿はどこにも見えない。

次第に揺れが収まり始め、大量の破片が散らばった一室が静かになる。
鈴に似たチャリ、という音に目を向けるが、
崩れた破片がぶつかっただけで、どこにも猫の姿は見当たらなかった。

静かすぎる家に、ぼくはゾッとした。
心臓が破裂しそうな程に脈打って、体中から血の気が引いていくのを実感した。
最悪の状況ばかりが頭を廻って、それだけで泣きそうになる。
なによりも大事な猫が死んでしまったら、ぼくはどうすればいいのか。

恐ろしい想像に押しつぶされそうになりながら、必死に辺りにできた残骸の山を崩す。
やはり猫の姿はない。
想像以上に悲惨な状況になっていた寝室に戻り、また残骸の山を強引に崩す。
やはり猫の姿はない。

頭が真っ白になり脚が震えだす。
こみ上げる吐き気に負けそうになっていると、ベッドの下から鈴の音が微かに響いた。
慌ててベッドの下を確認すると、キョトンとした猫が、いつも通りの甲高い可愛らしい鳴き声を上げた。

驚かせやがって。人が命がけで探してたっていうのに。
安心と疲れがどっと押し寄せると、身体の力が抜けていくのを感じた。


生きてきた中で最大級の地震は収まったが、まだ安心はできなかった。
両親や友人たちに電話をかけるが、一向に繋がる気配はなく、
仕方がなくまるでトラップの様に散りばめられた破片を飛び越え外へと向かう。

程なくして母が帰宅するが、どうやら両親とも無事だったらしい。
学校を卒業してから、父が手術だなんだと問題ばかりで未だに家を離れなれないのだが、
こういう時には一緒でよかったと心から思える。親離れできていないだけとも言えるが、
結局は仕事場の一つもすぐ近くなので、まあ良しとしよう。

二人で家の周辺を回るが、悲惨な状況だった。
ご近所の方々と言葉を交わすが、どこの家もやはり被害は大きいらしい。
そうして他の人たちと状況を確認していると、またしても強い揺れが襲った。
今考えると、とても不謹慎な話なのだが、この時ぼくは笑っていたのだ。
大事なものの安全を確保できた安心感からか、また地震だ程度にしか考えていなかった。
まあ、事態がそんな優しいものじゃあない事は直ぐに思い知らされる訳だが。

近所の人々は大半は冷静だったが、泣き出している人もいた。
道路は陥没し、壁は崩れ、近くの中学校に至っては体育館の屋根が崩壊していた。
地震の最中にPCの電源が落ちたので予想はしていたが、
どうやら電気が止まり、水の供給すら断たれている様だ。

世紀末とでもいうのか。
灯りのない景色はなんとも不安を煽り、
嵐の前触れのような空は更なる災害でも暗示しているかに思える。
繰り返される余震に気を配っているうちに、着実に陽は沈み、夜の帳を落とし始めた。


永い永い、夜が来る。
ゲームで使った言葉だが、意味合いは違えど正にそんな感じだった。
これほど恐ろしい夜を経験した事はない。
怖い話を聞いた夜だとか、一人で過ごす夜だとか、そういった漠然としたものとは違う。
明確な死の恐怖が、生命を脅かす自然の怒りが、傍らで渦巻いている。
貧富問わず死は平等也。そんな言葉が浮かび、ぼくはまた恐怖した。

お世辞にも美味いとは言い難い夕飯をかきこみ、
疲れに意識を失いかけると、また強い揺れで目を覚ます。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の火を見つめていると、夢か現かの判断なんて消えてなくなる。
五体満足、家も在る状態でなにを弱気になっているのか。
そう自分を戒めた時に気付いた。自宅は震源地にとても近い場所だったが、中心ではない。

更に強い地震である宮城などは、どれだけ悲惨な事になっているのか。他人事が、もう他人事ではない。
地震のあったつい2日前に、舞台裏の収録で旅行から帰ってきていたぼくは形容し難い恐怖を感じた。
本当の意味で他の被災者たちを心配できたのは、この時が初めてかもしれない。

運よく生き残ったが、蝋燭の数も心もとなく、食料が多少あっても安全な場所や、
緊急時の荷物なんてものもまったくない。自分の危険意識がどれだけ欠如していたのかが、
こうやって災害を目の当たりにしたときに思い知らされるとは。

ラジオの先からは各地の被害状況が告げられ、
すぐ近くでも死者が出ているだとか、原発でトラブルが起きたとか、
暗い夜を更なる不安に追いやるようなニュースばかりが舞い込んでくる。

隣家に住むご家族のご主人――随分と若く、年はあまり変わらない気がする――と暫く話をしたが、
大人よりもやはり子供のダメージが大きい。
外的な傷がなくても、大人ですら恐怖を感じるこの暗い夜と断続的な地震は
子供たちの心にとても大きな傷跡を残してしまったらしい。

暗い部屋では不安に怯え、揺れで目を覚まし、また不安を植えつけられる。
そして家にいることを拒絶し、子どもたちは車のシートを倒し眠っていた。
暗い中でまた地震が起きたら、家族全員を助けるのは難しいと思うから。
ご主人の言葉は最もだ。

震災から2日目、3日目には ちらほらと臨時で店を再開する場所も出てきたが、
市民の事を考え、購入数の制限などがなされている。
一部は値段が上乗せされていたが、まあ、仕方がない事か。あちらも商売だ。
こちらとしては、金はまだあるのに、ろくに水も飲めず、
食料も確保できないのだから、なんとも皮肉な話だと思う。



自分の仕事場の一つが某旅客会社なのだが、
そこに病院から病人の搬送をお願いできないかと連絡が入った。
寝たきりなど重傷の方々がこのままでは死んでしまうと、切にお願いされたらしい。
もちろん、その旅客会社だって被災地にある。連絡のつかないドライバー達もいる。
道路は陥没し、信号はつかず、通行止めが多い中だ。会社はそれを断った。
しかし病院側も、お金は上乗せしてもいいからと必死に食らいついた。
やはり災害の中といい、商売の為もあり、最終的には会社側が折れたようだ。
こんな時こそ助け合うべき、と言いたいが、被災者からすればそれどころではないか。
金の話込みと云えど、それで患者の方々が助かるのであればそれに越したことはないと思う。
相も変わらず周辺の家はボロボロで、道路も波打つように陥没していた。
昼夜問わず、救急車や消防車が行き来している。
第一波が過ぎた後も、こうして重傷者・死亡者が増えていくのだから恐ろしい。

そういえば、なぜか停電中の夜の間はひたすら思いつく限りの妖怪を描いていた。
もう頭がどうかしてるとしか……いや、実際にどうかしていたけれど。とにかく妖怪を描いていた。
更に3日目の目覚めは、やった! 電気が復旧したよ! という夢と共に起きた。
わびしさに泣くかと思った。
そして明かされた事実なのだが、地震の時、母はぼくではなく猫の方しか頭になかったらしい。
妙な納得感に泣くかと思った。
この家族はどこまで猫第一なのだろうか。人間ってわからない。

父が語っていたが、こういう時に人というものが見えてくる。
他人の事を考えられるか、自分を犠牲にできるか、ただ助かることを考えているか。
もちろんこれに正解や不正解なんてものはない。結局は個人が持つ正義感の話であって、
それを押しつけることはできない。
だがこうして災害を経験した以上、自分はもう己第一の考えなんて持てないし、
そんな考えの人間は――もとより汚い人間は嫌いだが――受け入れられないと思う。



3日目の夜ともなると、思考回路に問題が生じて、変な格好で呪詛を漏らしていた。
シュールといえばシュールだけど、見る人によれば相当怖いんじゃあないだろうか。
災害をバカにする連中や、特に気にも留めずいつも通り電力を消費する連中を、
心の中で死ね! と唱え続けながら一心不乱に妖怪を描いているのだから、
檻に入れて良いレベルだと思う。いや入れてくれ。
地震直後はプルプル震えていた猫だが、この頃にはいつも通りに戻っていた。強い子だ。
変な格好でプルプル震えているぼくも、考えようによっては強い子かもしれない。

朝なら危険物を片づけたり、いろいろ準備をしたり、動物のお医者さんを読んで癒されたりできたが、
夜は何もできやしない。暗いし揺れるし怖いし、妖怪を描きすぎると目が悪くなりそうだしと大変だ。
また地震が起きるのが怖くて部屋の片づけもできないので、自室で丸くなっていることもできない。
このままでは本当にまいってしまう。風呂にも入れないし、水や食料も着実に減ってきていた。
自分でみてもちょっと華奢な体系ではあるが、力には自信があるので、
水の補給や物資の移動は自分の仕事だ。
しかし災害の後というのは本当に辛い。日ごろでは考えられない量の仕事が襲い、
ろくに眠れない分の疲れがどんどん蓄積されていく。倒れるのは時間の問題か。



2011年3月13日、間もなく10時という所で、電力が回復する。

歓喜。狂喜乱舞。やっぱり変な格好だが、とにかく舞った。華麗に舞った。

販売用のゲームの事しか考えない毎日だったが、
ぼくにはまだまだ表現したいことが、作りたいゲームが沢山ある。
きっとこれからも増える。それこそ止まることなく、生涯作り続けたい。
暗い部屋で蝋燭を見つめながら、ただただゲームを作りたいと願っていた。
愛すべきキャラを、物語を、もっと表現したいと。ただ願っていた。

これほど当たり前の光景を感謝し、慈しみ、願った日々はなかっただろう。
未だ水の供給は再開されていないが、日常の欠片が確かに戻ってきたのだった。

しかしまだ災害は続いているし、大変な思いをしている人々は沢山いる。
それでもいまは、この幸せを、見知った日常を喜びたい。

この生活が平和ボケを生み、緊急時の為の準備や危険意識を奪い去ったのだが、
それでもぼくらはこの「日常」なしでは生きられないのだと痛感させられた。

未だ地震は続き、おそらくまだ危険は去ってはいない。デマを流す馬鹿者も居る。
ただ、一つのラインを過ぎ、危険を乗り越えたのも事実。



最大の危機に直面しながら、日の丸の魂はされど折れず。
我々はまだ旗を掲げているのだ。



生を渇望する心を、強い信念を。
同じ被災者たちに、ぼくは全力でエールを送りたい。

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